2011/02/04

実名と顔、責任の時代へ


フェイスブックがようやく日本で流行しはじめている。

私は2006年よりフェイスブックを使っている。
しかし、2010年末までの私のフェイスブックの使い方は
「海外の友人と旧交を温めるため」だけの使い方でしかなかった。

なぜなら日本人が使わないからである。


日本にはmixiという確固たるソーシャルメディアがある。
他にもGreeやモバゲータウンなどのゲームとアプリ系。




そのどれもは、日本人独特の「隠れたがりや」の思想から発しているのだろう。
かくれんぼは「隠恋慕」、平安時代に女性が身を隠して男性と情事を遂げる、
この価値観が今の恋愛事情にも人間関係にも、
ある程度引き継がれている側面がある。
ある程度、オブラートに物事を隠して、事を遂行していく、
これが我々日本人の特性である。



だからこそ、欧米的なフェイスブックの「オープン具合」には、
対応出来なかったという考察も出来る。

匿名が通用するmixiは
今までの日本人にとって最適であった。


しかし、あまりにも皆、匿名と閉鎖性を追求しすぎてしまった感がある

「mixiにいるから検索してね」と言っても出てこないことはザラである。
出てきても複数いたり、写真がよく分からなかったりで、
マイミクの申請がしづらくなる。
隠れ過ぎていて、見つけられないのだ。
平安時代に女性から下衆の者を通して男性宛の恋文に、
分かりにくい目印が書かれてあって
結局見つけられず、離ればなれになってしまうことと似ているかもしれない。


その点、フェイスブックであれば、
登録者の殆どが実名と実際の顔写真を掲載しているため
検索もしやすいし、見つけやすい。



私は日常的に色々な方々と会うが、
やはり顔と名前を覚えることで、
その方々を認知する。
顔と名前は実社会の人間関係において、最重要なのだ。
つい先ほども最近よく行き仲良くさせていただいている
フレンチレストランのオーナーからフレンドリクエストがあった。
これも私自身が実名と顔写真を掲載しているからだ。


ところが、これまでのネットの常識は、
顔も名前も重要ではなかった。
2年前の私のように、匿名で写真にもモザイクという、
発言に責任のないことをしてしまう輩が多かった。


*元画像見つからず(汗)*

 

(モザイク時代の私のプロフ写真w)

実社会とネット社会は別もの、これがこれまでの既定路線であったのだ。

ネット社会は仮想現実であり、半分は本当、半分は嘘で固められているといった考えだ。
ところがフェイスブックは、
実社会そのものなのである。
当然、ネット上での言動や行動にも、実名と顔を明らかにしている分責任を伴う。




アメリカでフェイスブックが引き金となって、
不倫が発覚し、離婚に結びついた夫婦。
リアルタイムで私は見ていたが、
マークザッカーバーグCEOはそのことを記者に問われ、
「そもそもそんなことをした奴らが悪い」と一蹴、
取り合いもしなかった。

同時期だったか、
日本のSNSでも同様にプライバシー問題が取り上げられていたことがある。




具体的なことはここでは書けないが(当人を再び傷つけてしまう恐れがあるため)、
あるSNSサイトで実名と顔写真を公表していた個人が
不特定多数の匿名の人間に「あること」がきっかけで攻撃されることとなった。
当人のアカウントは削除され、ストーカーまがいのことをする輩まで出現するようになる。

この件に関して、日本のSNS会社の創業社長以下幹部の対応が、醜態であった。
コメントはなし、
その後もしばらく「実名と顔写真推奨」を、公式見解なしで続けていたのである。
「ほとぼりが冷めるまで待っている」状態。



通常、あれだけの騒ぎになってしまったら、
上場しているような企業であれば、何らかの公式見解を述べないとおかしい。
社会問題となっているようなトピックに対して、逃げ腰は通用しない。
私もそのSNSは使用していたが、疑問に感じ、
私自身も実名登録していたが、仮名に変えた。
信頼できない人の元では、素性を知られたくないのが通例だ。



同時期に、日本のSNSは仮名登録率の割合が高くなっていった。
使いこなしている人もいるが、とても素人がカンタンに使える代物では無くなった。
一度、こうなってしまうと、挽回するのは至難の業である。

現在、そのSNSをはじめとする 
日本のSNSは匿名性と閉鎖性が極めて高い場所となっており
一般的にはあまりにも実社会から遠い場所にある。
経営者も「交流」を目的とするのではなく、「広告主の顔色を伺いながら」のサービス提供に終始している面ばかりが見える。




ずいぶん、長くなってしまったが、そろそろ結論を。


実社会において、顔と名前は、
人との繋がりやコミュニケーションにおいて、
最大のプライオリティーである。
その次に、その人の経歴や素性、人となりや何をやっているのかが続く。



フェイスブックは、まさにこの点を重要視し、
交流と旧交を温めるサービスに特化して世界中にサービス提供している。
だからこそ5億人以上の人を惹き付けているのだ。
繋がり続けたいという需要に焦点をあてて、必要なサービスだけを提供している。

フェイスブック上での
個人アカウントの登録は、
まるで家を建てるのと同じ要領。
どこにドアを設け、鍵を作り、
どこに窓を設け、カーテンを置き、
誰をいつ家の中に招待するか、誰に手紙を出すのか、
どんな部屋を作るのか、
自由自在に配置できる。



もちろんオフィスだって
(ファンページと言う手段を用いて)
作ることが可能だ。
そこでは日本のSNSと違って、思いっきり営利目的にやってもいい。
公共団体だって議員だって、諸外国では作られており、
第二のホームページと言ってもいい作りになっている。

筆者の関わっている電子出版会社のファンページ



しばらく日本では実名と顔写真を明らかにすることが敬遠されてきた。
フェイスブックも誕生して6年、試行錯誤しながら、現在の「完成形」がある。
6年日本進出が遅れたからこそ、
完全な形で、先進的なサービスを提供する事が可能と言う見方もできる
(私が使い始めた時なんかは、今に比べると、まだまだといった感じだったもんだ)


実名と顔、これでもって、
一般個人レベルでも責任のある言動と行動が求められる時代になりそうだ。


というわけで、
私もこのブログ上で実名でやらせていただく。
(ある意味、今までも実名だったが、戸籍上の実名でもってやらせていただく)

フェイスブックが家だとすれば、
このツイッターは近所の公園での第3者に向けてのつぶやき、
このブログは隔週で開く集会場という位置付けになる。

もちろん、文責も取らなければならないが、
時代が責任を要求している以上、
私も責任を持ってやらなくてはならないと感じたのだ。

と同時に、匿名や顔の見えない方からのコメントに対する返信は控えさせていただく。
これからも匿名やハンドルネームでのコメント書き込みはしていただいて結構であるが、
私からの返信は、顔の見える相手だけにさせていただくことを明記しておく。

最後に私のフェイスブックアカウントも明記しておこう。
知っている信頼できる顔であれば、フレンド承認はさせていただく。
知らない顔でも、どれほど私と繋がっているかどうかがある程度分かれば、
数回のメッセージ交換で、フレンド登録も可能である。

「Genna GDay Kojima on Facebook」










よりリアルに繋がろう!
 (といっても全く知らん人からのいきなりのリクエストは即排除です)

そして応援し合える関係を築こう!
その大きなインフラの1つがフェイスブックなんだから。


「先端技術と大衆需要」の最終話をお届けする予定でしたが
予定を変更させていただきました。
(「先端技術と大衆需要」の最終話は再来週の金曜日にお届けします)

1 コメント:

匪名 さんのコメント...

月2回の書きこみを宣言されてましたが、
政治家の公約じゃないので、別に月一でも、その辺はその時の都合で良いんじゃないですか?
気にされるのであれば「融週のつもりだったけど今週は・・・」の姿勢を何かで示されればいかがかと思います。


そもそも、今のブログどれぐらい読む人がいるのでしょうか?
grickoさんの航空ネタに魅力を感じて集まった読者が大勢と思うので、今はずいぶん減ったんじゃないですか?(気悪くしないで下さいね)
定期書込みを守る事をそれ程優先しなくても、今は問題はないと思います。

それと、航空関係を堅くタブーと決めてしまわなくても良いのかなと感じます。当面はやりませんよで良いのかなとも思います(結果として永遠にやらなくてもいいんですけど)。

希望:
旅慣れた様に見えますし、
航空関係に触れなくても良いので、こじまさんの旅行記の類は読みたいかな。